家の玄関で傷だらけで衰弱した黒猫を見つけたのは、2016年4月28日の深夜のことでした。
保護して動物病院へ連れていき、体重を計ると2.6kgで、子猫かと思ったら、痩せ細っている推定7才の大人の猫でした。
1週間くらいでなんとか自力でご飯を食べるようになり、毛艶も良くなって、体重は4kgを超えました。

黒猫だったので、クロネコヤマトの黒猫で、『ヤマちゃん』と名付けました。
ヤマちゃんは、ずっと野良ネコだったので、なんとなくワイルド。

昼間の瞳が細いときは、とてもカッコ良かったです。

でも、すごく甘えん坊で、帰宅したら駆け寄ってきて、抱き上げると私の首に手を回し、ぎゅっと抱きついてきました。
猫には鎖骨がないので、抱きしめる動作はできないと何かで読んだのですが、ヤマちゃんは私を抱きしめることができました。
そしてゴロゴロと大きな音で喉を鳴らしてくれました。
そんなヤマちゃんには持病がありました。
『猫エイズ』です。
保護時には既に発症していました。
猫エイズ(猫後天性免疫不全症候群)は、人間のエイズと同じような病気です。
大体は垂直感染=母子感染か、激しい喧嘩をしたときに猫エイズを保菌している猫に咬まれて感染します。
猫エイズは潜伏期間が数年あり、発症する猫と、しない猫がいるのですが、発症すると、免疫機能が下がり、通常では感染しない菌で病気になったり、次々にいろんな病気を発症して、だいたいは1年未満で亡くなります。
ヤマちゃんは、保護時7才というところから逆算すると、母猫からではなく、喧嘩で感染したのでしょう。
保護した時点では、ヤマちゃんは慢性鼻炎を発症していました。
人間のエイズは、今は発症しても延命が可能だそうですが、猫エイズは治療法が現時点ではありません。
そのため、ヤマちゃんを保護したときから、ヤマちゃんとの別れを覚悟していました。
ヤマちゃんは2019年4月8日まで、3年近く一緒にいてくれました。
猫エイズを発症したら1年以内に多くが死に至るというのは、ヤマちゃんが亡くなってから知りました。
私は、3年しかヤマちゃんと一緒にいられなかったと思っていましたが、実際は2年も多く一緒にいることができたのだと、今、ヤマちゃんが亡くなってから2ヶ月近く経ちますが、ようやく前向きに考えることができるようになってきたところです。
また、猫エイズの猫を長生きさせるためには、とにかくストレスを与えないことが大事だそうです。
そう考えると、我が家にはもう一匹猫がいて、書き忘れてましたがヤマちゃんは雄で、その猫も雄なので、
・縄張り争いの激しい喧嘩をしてもう一匹の猫への感染を防ぐために、私の部屋にヤマちゃんを住まわせた結果、自分の縄張りを持てたこと
に加えて、
・野良ネコから家ネコになったため、ご飯の心配がなくなったこと
がストレス軽減になり長生きしてくれたのではと思います。
ヤマちゃんは、慢性鼻炎以外は特に目立った症状もないまま、2018年の12月までは元気に過ごしていました。
しかし、2018年の12月末から、ご飯を食べなくなりました。
体重が減って少し元気もありません。

年が明けて、2019年に動物病院に連れて行くと、口内炎ができていました。
人間の口内炎は、ちょっと醤油がしみるくらいですが、猫の口内炎は症状が軽くても、そうとう痛く感じるらしく、ご飯をぜんぜん食べてくれなくなります。
抗生剤と消炎剤と栄養剤を注射して、なんとかご飯を食べてくれるようになりました。

しかし、ヤマちゃんの口内炎は、普通の口内炎ではなくて、猫エイズの免疫低下からの口内炎です。
今までは慢性鼻炎だけでしたが、口内炎ができたということは、猫エイズがさらに進行したことを意味しており、後悔すべきは、猫エイズの口内炎を、私があまり重くみていなかったことでした。
口内炎が治ったから、再びごはんを食べ始めたから良かった。
そう思ってしまいました。
結果、3月に口内炎が再発します。
またご飯を食べなくなり、体重が減少し始めました。
今回は水も飲みません。
病院へ連れていこうと思ってケージを取りに行って、帰ってくると、ヤマちゃんが嘔吐と下痢をしていました。
よほど体調が悪いのだろうと、急いで病院へ連れていき、診察を受けて注射を打ってもらい、帰宅しました。
しばらくすると、ヤマちゃんがてんかん発作を起こし、嘔吐しました。
ここで、病院へ行く前も発作を起こして、嘔吐と下痢をしたのではと思い当たり、急いでふたたび病院へ連れていく途中でも発作を起こしてしまい、診察をしてもらうと、たぶん脳腫瘍ができて、てんかんを起こしているとのことでした。
猫エイズの症状に悪性腫瘍やてんかんもあるそうです。
MRIで調べるとはっきり診断できるのですが、人間と違って猫はMRI検査でじっとしていないため、全身麻酔をしなければならず、しかし全身麻酔は今のヤマちゃんの身体に負担がかかる、そして、悪性腫瘍があるとわかっても、どうすることもできないため、MRIはしませんでした。
てんかんは、脳の神経が発作を1回起こすごとに傷ついてしまったり、てんかんの症状がどんどんひどくなる(時間が長くなる・痙攣が大きくなるなど)ため、発作の回数をなるべく少なくするというのが大事です。
また、てんかんは完治することはほとんどないそうで、てんかんを起こした場合はずっと抗てんかん薬を服用しなければならないそうです。
ヤマちゃんはその日は入院し、翌日退院してから、朝と晩に、てんかん用の錠剤を飲むことになりました。
猫に薬を飲ませるのは至難の業で、私の両手はあっという間に傷だらけになりましたが、なんとかコツを掴み、ヤマちゃんの身体をバスタオルにくるんで、後ろから開口させてピンセットで喉の奥に薬を置くという方法で投薬することができるようになりました。
てんかんの薬は効果があり、ヤマちゃんがてんかんを起こすことはありませんでした。
しかし、口内炎が再々発しました。
今までは抗生剤と抗炎症剤で注射で改善していたのに、全く改善しないため、錠剤を飲ませることになりました。
ご飯を食べず、水を飲まないので、どんどん弱っていきます。

病院へ連れていって、栄養補給の注射を打ってもらい、家ではスポイトで柔らかいキャットフードや水を強制給餌するようになりました。
でも、足腰が弱ってきて、トイレに行きたくなっても間に合わなくなってきました。
そのため、いままでは私のベッドでヤマちゃんは寝ていたのですが、ベッドを移動して、ヤマちゃん用のベッドを作り近くにトイレを置きました。

ヤマちゃんは、4月に入って、ちょっとしっかりした感じになってきました。

ご飯は食べないし、水は飲まないけど、てんかんは起こさず、慢性鼻炎でいつもスーピー鼻をならしていたのもなくなり、症状が安定してきたのかな、回復するのかなと思いました。
でも、これも猫の本を読んで知ったのですが、猫は亡くなる前にいったん症状が改善したようにみえることがあるそうです。
だから、このときに、もっとたくさんなでて話しかけたら良かった。
ヤマちゃんが少し安定したと思ってしまった私は、今後のことを考えました。
私は現在、専門学校に通っているのですが、ヤマちゃんの体調が悪化した3月下旬から4月上旬は、ちょうど春休みでした。
だから、ヤマちゃんの体調を、朝から晩までずっとみていることができて、もしてんかんを起こしても対応することができましたが、4月9日からは、そうすることができなくなります。
また、治療費も、ご飯を食べなかったら、数日毎に動物病院へ連れて行くので、このペースだと毎月5~10万円くらいかかりそうで、勉強のため仕事量を減らしていたのを増やさなければとも考えていました。
でも、仕事量を増やすと、ヤマちゃんといる時間が短くなってしまいます。
さらに、口内炎の猫への強制給餌は、投薬の比べ物にならないくらいヤマちゃんが抵抗して時間もかかるため、手間もかかり、また、無理矢理に喉にスポイトで流し込んでもいいのかとも考えました。
動物を飼うのは簡単ですが、老後や病気になった時は大変というのは知っていましたが、
それでも、やはり悩みます。
でも、ヤマちゃんが生きている限りは生きさせよう。
そう決意した数日後の4月6日朝。
目を覚ましてヤマちゃんを見ると、ベッドの上ではなくて床の上で寝ていました。
床で寝るほど、気温は高くありません。
ヤマちゃんをさわると、ひんやりしていました。
「ヤマ?」
って呼ぶと、しっぽを少し動かします。
ヤマちゃんは、元気な時には名前を呼ぶと、
「ニャー!」
と返事をしてくれました。
元気がなくなってからは
「ニャ」
と返事をしてくれて、
その後は、声は出ませんが、口を開けて。
そして、口内炎がひどくなり口を開けられなくなってからは目をキュッと閉じて返事をしてくれていましたが、この頃はそれもたいへんなようで、しっぽを動かすのが返事代わりになっていました。
最近のいつもどおりだけど、ちょっと不安だから、朝一で病院へ連れていきました。
ヤマちゃんの体温を計った動物病院の先生は、体温が下がっているから温めます、ということで、ヤマちゃんは夕方まで様子をみるため、入院することに。
病院の診察台で、ヤマちゃんが歩いて私のほうに来たがったけど、
「またね、ヤマちゃん」
といって、帰宅しました。
夕方に電話すると、大丈夫そうだけど、念のため、このまま今晩様子を見ますので明日迎えにきてくださいということで、すっかり安心していた翌日の早朝、病院から電話が。
ヤマちゃんが亡くなったそうです。
だれもが、「まだ大丈夫」と思っていました。
ヤマちゃんを、迎えに行きました。

昨日ひんやりと感じたヤマちゃんの身体は、もっと冷たくなっていました。
日曜日で、明日からは学校が始まります。
本来なら、今日すぐにヤマちゃんを火葬して、翌日は学校へ行かないといけませんが、私には無理でした。
日曜日は、ヤマちゃんを自分のそばに置いて過ごしました。
そして、火葬してくれるところを探し、お花をたくさん用意しました。
元気な時に食べていたキャットフードも、紙に包みました。

月曜日に学校に休みの連絡を入れ、ヤマちゃんをペットの葬儀場へ連れて行って、

ヤマちゃんは骨になりました。

骨壺は、昼間は日当たりの良い場所にお花とごはんと一緒に置いて、夜は1週間は枕元に置いて寝ました。
49日を迎え、猫の世界に49日があるのかはわかりませんが、部屋の棚に骨壺を移動して、キャットフードは飼っている猫と犬に毎日1個ずつ食べさせて、さきほどヤマちゃん用の1個以外はぜんぶ無くなりました。
まだ、猫と犬がいるから、ヤマちゃんは3年しか一緒にいないから、それにきちんと面倒をみたから、大丈夫と思っていたのに、ペットロスが激しく、今もこうしてヤマちゃんのことを書いていて涙が出てきます。
カッコよくて、甘えん坊の、しっとりとした毛並みのヤマちゃんがいなくなって、シーンとした部屋はとても寂しい。
今日は、気持ちを整理する気持ちで書きましたが、きっと読み返すたびに涙が出てくるのでしょう。
ヤマちゃんがいるときには一個も買わなかった黒猫グッズが、家にどんどん増えています。



見るたびに思い出すから、買わないほうがいいって思うのに、
3年って長いと思うのだけどヤマちゃんと過ごした3年は短すぎました。
今でも、部屋のドアを開けると、ヤマちゃんが後ろ足をぐぐーっと伸ばしてあくびをして、近寄ってくるような気がします。
ね、ヤマちゃん?
